疎ましい過去のように堆積していくショットたち?ショットはもはやない、瓦礫もない、ゴミだけがある、そんなことはわかっている、出発の合図はいかにして鳴るのかもう忘れてしまった、2018年、ゴミとゴミの摩擦によって炎を発生させる開発、だらだら続く生…
アントナン・ペレジャトコ『7月14日の娘』 クリシェを煮詰めた先にある悪趣味に近い洗練された下品さを、 下品さそのものとして楽しむ下地がほとんど存在せず、 あろうことか上品さとして消費してしまいかねないこの国では、 それは案の定配給されることもな…
事情により奇妙な順番で、 新作を後追いすることになった。 新海誠が、本家スピルバーグよりも、 スピルバーグらしきものを強引に見せてきた。 他の要素はひとまずどうでもよい。 だがこれでいいのか。 涙腺を緩め、 かつ想像力の擁護に対しては 一定の距離…
タルコフスキーはフィルム以外の素材では決して観ないことにしているという、もういい加減いい年齢になっているのにいつまでも子供じみた理由から何年も遠ざかっていたのではあるが、あたかもそんな主義などなかったかのようにさりげなさを装って机に積まれ…
映画はジャック・ドワイヨンとともに退屈さを獲得したと書くとき、ここで言われているのは単なる肯定であって、否定ではない。元来退屈以外の何物でもなかった映画は、いつしか面白さという価値を内在的にもつものとして語られ始めた。人々は、白い映画や赤…
寂しげにとぼとぼと歩いても孤独が浮き立つばかりで、その孤独はふと呆けたように夜のバス停留所をさまよう足下に、あるいは撮影現場から遠のいてゆくその足下にまとわりつき、ひいては家中に溢れだしてしまった水となって彼女の足首を濡らす。たとえ側を誰…
嗚呼サソリはやはりカエルを殺すのだという、 そうしたショットをおぞましいほど的確に捉えるのが たとえばフライシャーであるということはできる。 それがほどほどに上手いのがスピルバーグであり、 上手くはないがなんとか試みようとしているのが ニール・…
つかの間の休みに、 溜めていたdvdやブルーレイを思う存分観ているが、 結局トビー・フーパーとリチャード・フライシャーばかり観てしまう。 ばかり、といいつつ ほとんどソフト化しているすべてを見直す勢いになっているが。 フーパーをみれば泣き、 フライ…
とても映画になりそうもない貧しい主題を、 猛烈に説明しつくすことで無理矢理ノセていき、 まさかこんなことで興奮する筈はないと余裕で構えた観客に、 細かいジャブのような不意打ちを食らわせつづけ、 ついにはほとんど観客を納得させてしまうのがゼメキ…
このほとんど、 誰に向けても書かれていないような場において書くのは、 批評があくまで仕方なく どうしようもない遅延によって為され、 恥を置き去りにすることで恥を恥として受けとめるということを その都度確認するために他ならないのだが、 そんなこと…
百姓娘の子守唄を聴いておぼえる市、 忘れられないショットだが、 すばらしい曇天のロケだなと思っていると 案外セットだったりするから恐ろしい。 森も霧も。 ふと瓦屋根の街の隣に森があったりする。 高千穂ひづるが、あえて足音を立てて入っていくが、 そ…
…よそう、そんな固有名詞を呟くのは。 酸欠の吐き気はおさまらず、 『マイ・ファニー・レディ』を見てもいっこうに良くならない。 もちろんそれは『忠次旅日記』で受けた呪いなのだから良くなるはずもない。 いやなにも『マイ・ファニー・レディ』が悪いわけ…
酸欠になり、死ぬかと思ったが、 それは余りに多くの物が失われてしまったことへの 喪ということにしよう。 失われずに残っているという事態に、 何度でも悦びうろたえよう。 伝次郎。沢蘭子。 伏見直江。 伊藤大輔。唐沢弘光。
論文を出してから来ようと思っていたが、 やはりやっていると見てしまう。 『四谷怪談』。 逆さの反射像から入る、まずこれがいいし、 湖面の暗さもいい、泥濘もいいし、書き割りの不穏な空もいい。 強いのに愚鈍じみた、もういい年の長谷川一夫の傀儡ぶり、…
ふと目にした中川信夫という文字に、身を切るような痛みをおぼえる。中川信夫、渋谷実、小沼勝。NFCの東映時代劇。私の凡庸な日常に、いったいどれほどの仕事が、どんな義務があったというのか。駆けつけられずに、いま銀幕には、いままさにと、祈るように堪…
※導入1〜4は任意で選択のこと。 ■導入1 例年どの立場でと思いながら、 覗き魔の役割に甘んじてきていたのだが、 それでも露出狂の途方もない楽天性への憧れもあり、 むしろ愚直さへの加担によって少しでも世界の輪郭が歪むのであれば、 美的でなく政治的…
つかの間のオフ。『食人族』と『悪魔のいけにえ』。前者はどうでもいい。もちろん後者をみにきた。そういうことだ。
論文が一区切りついたので、 『FOUJITA』をみにいく。 マリー・クレメールをもう少しみていたかった。 中谷美紀が凄い。そりゃ化かされますね。 ヴィスタ、デジタルに最後まであまりノレない。 時間があったので『ひつじ村の兄弟』もみる。 背を向けて指さす…
万田さんの新作『シンクロナイザー』。 論文執筆で全然新作を観られていないが、 これを楽しみに今週はカンヅメになった。 出鱈目で、荒唐無稽でありつつ何食わぬ顔を装う、 それが知的な遊戯になってしまうという楽天性を何度でも讃えよう。 万田さんの口か…
論文執筆の合間にフラー自伝、シネ砦を読んでいる。 廣瀬純氏の黒沢清論おもしろく読む。 バディウの構図を逆転させる黒沢清。 ただ、忙しくて二度目を観に行けない『岸辺の旅』を思うにつけ、 黒沢さんは口で言うほどモンタージュを排除していない。 次のカ…
『フォースの覚醒』を観てきた。 予想通りちゃんとショットを決める意志のあるSW。 筒を手に持つだけであれだけの情動が発生するシリーズであることが確認された。 手に持つ、引く、触る、手形を遺す、ジャケットを羽織る。 あと顔が良い。
睡眠との不毛な格闘をやめて、 夜中に論文を書いて朝ねむる生活に。 オリヴェイラを満喫。 農夫たちがふとカメラを覗いて不器用に立ち去るショット、 あ、と切り返すと雲間に太陽が覗いているショット、 館の入り口に飾ってある鶏のようなエンブレムのショッ…
死ではなく移行。それは悲しむべきことですらない。悲しむという行為はあまりに人間的すぎるからだ。だからそこに血は流れているのか、ということが問題なのではない。ここに明らかに流れている血はどのようなものなのか、ということが問題となる。 人間から…
今日にみるかもしれないと思って 先日は『驟雨』と『河内山宗俊』にしたのだが、 どうも紀子ではないものを観たい気分。 ぴあで観られなかった二本を観て、 フラー自伝を入手。論文の息抜きに。 予想の倍くらい分厚い。 蚤の市で仏語の易しいリーダーを数冊…
ふといま書いている論文が終わったら、 まっさきに観るべきは『サンライズ』なのではないかと思う。 しかしそんなことをしたら死んでしまうだろう。
別にとりわけ人に見せたいものでもないことを、 誰も通らないような通りに置いておくように、 しかし単に流れ去るに任せるでもなく、 疎ましい過去のように堆積させてみること
1.口元から頬の右側にかけて皮膚が震えている。2.震えは寒さのせいにすることが出来るので、それぞれ脱いで与えることで三者は連帯する。マフラー、コート、帽子。コートを壁に掛けるとき、宛先のない贈与は何かの終わりを告げる。あるいはベッドの上で脱が…
扉が突然ひらく。例えば『ガントレット』を、一言でいうなら「物が壊れる」映画だといってもいいように、ひとまず『ジャージー・ボーイズ』は、「扉がひらく」映画だと言ってもいいかもしれない。『ジャージー・ボーイズ』の冒頭で、あたかも「これは扉がひ…