cineぞこない日記

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20160318

 寂しげにとぼとぼと歩いても孤独が浮き立つばかりで、その孤独はふと呆けたように夜のバス停留所をさまよう足下に、あるいは撮影現場から遠のいてゆくその足下にまとわりつき、ひいては家中に溢れだしてしまった水となって彼女の足首を濡らす。たとえ側を誰かが歩んでいたとしても、孤独は彼女の表情を強ばらせるばかりであって、その歩みはいささかも彼女を救いへと導きはしない。
 かといって、彼女がひとたび自動車に乗り込もうと、孤独はよりいっそう強く彼女をとらえ、いいようのない苦しみから彼女を救うことはない。それは緊張した息苦しい空間でしかありえず、壁に何度も激突させることでそこからの脱出がかろうじて想像される空間でしかない。
 ではいったいどうすればよかったのか。バイクに乗る。たしかに笑みはこぼれ、風はひとすじ通り抜ける。あるいは着席し、杯を交わす。突然憎めない男に変貌した大根役者が場を和ませる。もしくは踊る。それもいいかもしれない。だが何かが違う。そう、何かが。
 結局のところ、それははっきりとは示されない。不完全であるといえば言える。私はどちらかというとサービスを期待しすぎるので、この要求は不当かもしれない。だが最後に、書架、そして記憶の染みついた机と椅子が映されると、ああここに座ることで彼女は救われるのかもしれないと思うことができた。彼女にそこに座らせてあげたかったとも思う。おいそれとそこに座ることは許されないのかもしれない。しかし、それでも彼女はそこに座るはずだ。彼女がそこに座るのを、私はたしかに見ることになるはずだ。