2016-01-01から1年間の記事一覧
アントナン・ペレジャトコ『7月14日の娘』 クリシェを煮詰めた先にある悪趣味に近い洗練された下品さを、 下品さそのものとして楽しむ下地がほとんど存在せず、 あろうことか上品さとして消費してしまいかねないこの国では、 それは案の定配給されることもな…
事情により奇妙な順番で、 新作を後追いすることになった。 新海誠が、本家スピルバーグよりも、 スピルバーグらしきものを強引に見せてきた。 他の要素はひとまずどうでもよい。 だがこれでいいのか。 涙腺を緩め、 かつ想像力の擁護に対しては 一定の距離…
タルコフスキーはフィルム以外の素材では決して観ないことにしているという、もういい加減いい年齢になっているのにいつまでも子供じみた理由から何年も遠ざかっていたのではあるが、あたかもそんな主義などなかったかのようにさりげなさを装って机に積まれ…
映画はジャック・ドワイヨンとともに退屈さを獲得したと書くとき、ここで言われているのは単なる肯定であって、否定ではない。元来退屈以外の何物でもなかった映画は、いつしか面白さという価値を内在的にもつものとして語られ始めた。人々は、白い映画や赤…
寂しげにとぼとぼと歩いても孤独が浮き立つばかりで、その孤独はふと呆けたように夜のバス停留所をさまよう足下に、あるいは撮影現場から遠のいてゆくその足下にまとわりつき、ひいては家中に溢れだしてしまった水となって彼女の足首を濡らす。たとえ側を誰…
嗚呼サソリはやはりカエルを殺すのだという、 そうしたショットをおぞましいほど的確に捉えるのが たとえばフライシャーであるということはできる。 それがほどほどに上手いのがスピルバーグであり、 上手くはないがなんとか試みようとしているのが ニール・…
つかの間の休みに、 溜めていたdvdやブルーレイを思う存分観ているが、 結局トビー・フーパーとリチャード・フライシャーばかり観てしまう。 ばかり、といいつつ ほとんどソフト化しているすべてを見直す勢いになっているが。 フーパーをみれば泣き、 フライ…
とても映画になりそうもない貧しい主題を、 猛烈に説明しつくすことで無理矢理ノセていき、 まさかこんなことで興奮する筈はないと余裕で構えた観客に、 細かいジャブのような不意打ちを食らわせつづけ、 ついにはほとんど観客を納得させてしまうのがゼメキ…
このほとんど、 誰に向けても書かれていないような場において書くのは、 批評があくまで仕方なく どうしようもない遅延によって為され、 恥を置き去りにすることで恥を恥として受けとめるということを その都度確認するために他ならないのだが、 そんなこと…
百姓娘の子守唄を聴いておぼえる市、 忘れられないショットだが、 すばらしい曇天のロケだなと思っていると 案外セットだったりするから恐ろしい。 森も霧も。 ふと瓦屋根の街の隣に森があったりする。 高千穂ひづるが、あえて足音を立てて入っていくが、 そ…
…よそう、そんな固有名詞を呟くのは。 酸欠の吐き気はおさまらず、 『マイ・ファニー・レディ』を見てもいっこうに良くならない。 もちろんそれは『忠次旅日記』で受けた呪いなのだから良くなるはずもない。 いやなにも『マイ・ファニー・レディ』が悪いわけ…
酸欠になり、死ぬかと思ったが、 それは余りに多くの物が失われてしまったことへの 喪ということにしよう。 失われずに残っているという事態に、 何度でも悦びうろたえよう。 伝次郎。沢蘭子。 伏見直江。 伊藤大輔。唐沢弘光。
論文を出してから来ようと思っていたが、 やはりやっていると見てしまう。 『四谷怪談』。 逆さの反射像から入る、まずこれがいいし、 湖面の暗さもいい、泥濘もいいし、書き割りの不穏な空もいい。 強いのに愚鈍じみた、もういい年の長谷川一夫の傀儡ぶり、…
ふと目にした中川信夫という文字に、身を切るような痛みをおぼえる。中川信夫、渋谷実、小沼勝。NFCの東映時代劇。私の凡庸な日常に、いったいどれほどの仕事が、どんな義務があったというのか。駆けつけられずに、いま銀幕には、いままさにと、祈るように堪…