cineぞこない日記

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20180830

疎ましい過去のように堆積していくショットたち?ショットはもはやない、瓦礫もない、ゴミだけがある、そんなことはわかっている、出発の合図はいかにして鳴るのかもう忘れてしまった、2018年、ゴミとゴミの摩擦によって炎を発生させる開発、だらだら続く生、デジタル・ディスプレイ、おもちゃのプロジェクター、映写機はみんなおもちゃだ、workshopという語は20世紀に生まれたらしいが仕事を小売する場ということなのか、そこで売られているものは商品に値するのか、商品として成立させるために躍起になって、楽しんで盛りあがって、ゴミだけを組み合わせて成立するほどまだ21世紀は到来しちゃあいねえ、散りばめられた意味ありげのなかの明快な意味だけがいまだ市場価値たりうる、電車、海に瓶を投げて、見あげる、まだ生きてやがるムルナウ、成瀬、小津、まだそんなことで20世紀を引きずっている私たちの怒りはどこに向けられればよいのか、地下か?